COLNAGO
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History 歴史

1932年。ミラノ郊外に位置するカンビアーゴ村でエルネスト・コルナゴは生を受けた。12才で溶接工場に働きに出た当時の彼の給料は毎週2kgの小麦粉だったという。

溶接工として地道に働き、幾多の勝利を手にする優秀なロードレース選手でもあったエルネストは、1954年独立し、念願であった自らのチクリを生まれ故郷であるカンビアーゴに創設した。ちなみに現在でもコルナゴ社はエルネストの故郷カンビアーゴから高機能ロードフレームを全世界に送りつづけている。

チクリを創設してまもなくコルナゴが製作した自転車はローマ五輪でいきなり金メダルを獲得し、脚光を浴びはじめるが、後に彼はカリスマとしての更なる運命的な出会いに巻き込まれていく。


1968
チクリ・コルナゴはカンピアーゴの小さな工房で始まった。右は弟のパオロ

技術を公に認められたエルネストは、当時破竹の勢いで活躍していたプロロードレースチーム「モルテニ」のメカニックとして、その手腕を発揮するかたわら、「史上最強の選手」と後に謳われることになるエディー・メルクスに自作のフレームを提供する。

1970
チミラノ-サンレモで、ミケーレ・ダンチェリ感動の優勝。この時よりクローバーのマークをシンボルとして使う。

真のサクセスストーリーはそんな風にしてはじまった。エルネストの情念を織り込まれた高機能なマシンはやがてメルクスを幾多の勝利へ導き、コルナゴの自転車作りに対する優秀性を世に知らしめることになる。

1972年。メルクスは「自転車選手にとって最高の名誉」といわれるアワーレコードに挑戦するため、エルネストとともにメキシコシティーに降り立った。コルナゴ製5.7kgのトラックレーサーは、当時として画期的なまでの軽量化の中に強靭さをたたえながらメルクスの走りを支え、前人未到の49.432kmを達成。コルナゴは世界の自転車史の中で名実ともその頂点に達することとなる。


1972
エディー・メルクス、コルナゴ製マシンで
49.431Kmのアワーレコードを樹立


その後もジュゼッペ・サロンニをはじめとするスター選手がこぞってコルナゴのマシンの使用を求め、数多くのプロチームに供給されるフィードバックにより、ますますその機能と美しさに磨きをかけていった。

1983
神童と謳われたジュゼッペ・サローニ、
デルトンゴ・コルナゴチームとして
ジロ・デ・イタリアに圧勝


1986
フェラーリとカーボンフレームの共同開発をはじめる

1994年。コルナゴはトニー・ロミンガーによって再びアワーレコードを55.291kmという驚異的な記録により達成する。その後の、ヨハン・ムセウやアンドレア・タフィ、アブラアム・オラーノ、パヴェル・トンコフなどマペイチームのコルナゴによるワールドカップ、世界選手権での快進撃は記憶に新しい。

1994
トミー・ロミンガー、コルナゴ製マシンにより
55.291Kmの驚異的なアワードを樹立する。


革新的で斬新的な開発に対するバイタリティーを真髄とするコルナゴの姿勢は、機能的で洗練された外観を持つストレートフォークや、高いパワートランスファーを持つリブを入れた星型断面チューブ、またエアーブラシによるビビッドでとろけるようなカラーリングの実現など、常に最先端に挑戦しつづけてきた。

2000
フェラーリとのコラボレーションの集大成C-1を発表

1980年代の後半、コルナゴは、レーシングカーを代表するブランド、フェラーリとのカーボンファイバーを使った共同開発プロジェクトにおいて、さらにその輝きを証明されることとなる。そうしたフェラーリとのコラボレーションを踏襲する中、バイオメカニクス的な理論とフィードバック、最先端素材加工技術の融合により、「伝説の有機体」と呼ばれたカーボンフレームの傑作C35が誕生した。その技術は現在のカーボンフレームの中で最もパフォーマンスが高く最も美しいといわれるC40,C50の系図につながるものである。

2001
フオスカル・フレイレ、コルナゴマシンにより世界選手権優勝。3位までコルナゴマシンが独占

そうしたコルナゴのアプローチは、まさに自転車界に対する未来への問いかけとして、レースシーンのすべての風景を塗り替えていくパワーを内包しながら、「サイバネティクス的な魔術」としてのマシンを世に供給しつづけている。

エルネスト・コルナゴ。現代ロードレースシーンに深く刻み込まれたその名を持つ匠の技に触れる時、あなたの価値観と自意識はかつてなかったほどのときめきを覚えることだろう。


2005
ミケーレ・ラスムッセン、ツール・ド・フランスで山岳賞をExtreme-Cで獲得

2006
オスカル・フレイレ、ツール・ド・フランス
3ステージ制覇。


2007
アレッサンドロ・ペタッキ、自らの為に開発された「Extreme-Power」を駆って勝利を量産。

エルネスト・コルナゴ略歴
1932
エルネスト・コルナゴ、農家の長男としてこの世に生を受ける。

1944
彼の生涯で初めての溶接を経験することになる地元カンビアーゴの工場で働き始める。

1945
11月25日。運命的な日ともいえる、ミラノのレース自転車工房グロリアで奉公の開始。

1946
この年、エルネストは選手としてレース活動をはじめる。以後、最重要レースであるコッパ−カルディローラを含め13のレースに勝利する。

1947
エルネスト、ロードレースで初勝利



1951
ミラノ−ブセットのレース中に落車。左足を骨折。60日間をギブスで過ごし、競技生活断念。ギブス生活中グロリアにホイール組みについての教えをこう。それが現在の彼のビジネスをスタートさせるアイデアになったと言う。

1952
グロリアを出て、カンビアーゴの小部屋を借り、自転車製造修理の下請け業をはじめる。

1954
正式に自らの店をオープンする。まさにそれが「コルナゴ」のスタートだった。

1955
ニベアチームのプロ選手フィオレンツォ・マーニが足の故障とその原因である自転車をもってカンビアーゴを訪れる。エルネストがクランクを調整した後、数日間するとマーニの足の痛みは不思議と消えうせ、彼はエルネストをジロ・デ・イタリア参加へといざなう。

1956
G.S.ニベア のメカニックとなり、マーニとともレース活動する。

1957
奇抜ともいえるエルネスト独自の仕事を続けるかたわらジロ・デ・イタリアをはじめビッグクラッシクやブエルタ・ア・エスパーニャ、そしてツール・ド・フランスにも参加する。

1957
低温フォーク溶接法を発案。

1958
ルイージ・アリエンティがローマ五輪トラックで優勝する。これはコルナゴにとって初のビッグレースでの優勝である。

1959
幼なじみのジョルジオ・アルバーニとの関係から、1973年まで所属することになるモルテーニのメカニックとして迎えられる。その間、ジャンニ・モッタやミケーレ・ダンチェッリにより、すべてのレースで大活躍を収める。

1964
この年よりイタリア・ナショナルチームのメカニックとして数年を過ごす。

1966
エルネストのサポートにより、モルテーニのジャンニ・モッタがジロ・デ・イタリアで優勝。

1968
イモラでの世界選手権にメカニックとして参加。サポートするアドローニが優勝。

1970
3月19日。ミケーレ・ダンチェッリがミラノサンレモで感動の優勝。その後、現在でもシンボルとして存在する有名なクローバーのマークを初めて使用する。

1971
エディー・メルクスがモルテーニに所属。コルナゴとして最も享受の多い同僚、そして友人として関係を結ぶ。

1972
メルクスが、コルナゴの製作による最先端の新素材を使用した超軽量マシンによって、10月25日メキシコシティーでアワーレコード達成。

1974
コルナゴ、SCICチームのテクニカルスポンサーとしてスタート。

1975
メキシコアワーレコードで使用されたリブ入りフレームを発案。

1976
若き天才ライダー、ジュゼッペ・サロンニの相談にのり、激励。プロレーサーとしてSCICに入ることを薦める。コルナゴの推薦によりサロンニは特例として19歳でプロ入りを認められる。

1980年代
この10年間にわたりコルナゴは、カーボンを素材としたエアロダイナミック・タイムトライアルモデルを未来的な試みとして多数作り出した。

1982
この年、世界チャンピオンであるサロンニをエースに擁するデルトンゴ・コルナゴチームがスタートする。

1983
冷間引き抜き工法や、星型断面を持つリブ入りパイプを取り入れたスペシャル・クロモリフレーム「MASTER」が生み出され、サロンニがそれを使いジロ・デ・イタリアで優勝を遂げる。

1986
世界的なF1開発のテクノロジーを自転車にトランスするフェラーリとのコラボレーションがこの年はじまる。

1987
真の革命と謳われた「プレチーザ・ストレートフォーク」が誕生。

1989
この年フェラーリのエンジニアリングとのコラボレーションにより、カーボンモノコックフレーム「C35」が誕生。

1991
コルナゴが重要なビッグクラッシクレースで数々の勝利を手にすることになる双胴パイプを使った「CARBITUBO」を世に出す。

1992
CARBITUBOをスペイン国王に献上。

1993
CARBITUBOのシルエットをベースにした最先端技術の結晶であるチタニウムフレーム「BITITAN」を発表。

1994
この年、世界最強チームとなる「マペイ」がスタートする。マペイの選手たちは「C40」と呼ばれる、MASTERのパテントを使った単一素材接合カーボンフレームによって大いにその能力を引き出され、5回のパリ−ルーべ、3回の世界選手権、その他数多くのビッグレースを制することになる。

1994
トニー・ロミンガーが55.291kgの驚異的なアワーレコードを達成。

2000
フェラーリとのコラボレーションにより、優秀なマーケティングと製品製作の証明とも言える限定版カーボンロードレーサー「CF-1」を送り出す。

2001
Wサスペンション限定版MTB「CF-2」を続けてリリース。

2002
さらに限定カーボンロードレーサー「CF-3」をリリース。

2003
自然進化したともいえるC40の改良版「C50」を発表。

2003
コルナゴ50周年を記念して重厚なスペシャルバイク「ANNIVERSARY」を発表。

2004
オスカル・フレイレ、C50で自身3度目の世界選手権優勝を果たす。

2005
ミケーレ・ラスムッセン、ツール・ド・フランス山岳賞をExtreme-Cで獲得。

2006
オスカル・フレイレ、ツール・ド・フランス3ステージ制覇。
ミケーレ・ラスムッセン、ツール・ド・フランス山岳賞ジャージ2年連続獲得。

2007
アレッサンドロ・ペタッキ、自らの為に開発された「Extreme-Power」を駆って勝利を量産。

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