自転車競技はモータースポーツよろしく、卓越したエンジニアリングを育むのは世界最高峰のレースの現場である。レースの世界で頂点を極めるには常に現場に身を置くことが求められ、ものづくりの信条もレースに勝つこと、その一点に集約されていく。創業者エルネスト・コルナゴが自転車レースにかけた情熱とその信念はどこから来て、どこに向かっているのか。

勝負の世界に惹かれロードレースの世界へ ~情熱が築き上げる偉大な軌跡~

「私は貧困の中で生まれた農民の息子で、ポレンタを食べ牛乳を飲んで育った。私は何かを成し遂げたい、人口2,500 人の小さな町から出て誰かになりたい、という思いが幼心にあった」

家計を支えるため13歳で働き始め、自転車、そしてレースに没頭した青春時代を過ごしたエルネストは19歳の時にレース中の落車で脚を骨折。プロレーサーになる夢が閉ざされた後も自転車への情熱は冷めることなく、22 歳の時に自らの工房を立ち上げてコルナゴの名をヘッドバッヂに刻み始めた。

1968年の名門プロチームMOLTENI ※1 への初めての機材供給以来、現在までプロチームへの機材供給を片時も止めたことがない。一瞬の閃きのように技術革新の裏にはミラクルドラマがある場合もあるが、大抵は地道な努力の賜物と言っていいだろう。トップライダーの活躍を支えることが技術革新に繋がると信じて、これまで250 ものプロチーム、4,000 人ものプロライダーの活躍を支えてきた。半世紀以上レースの現場の最前線で培われたエンジニアリングは確固たる信頼となり、憧れへと昇華することをコルナゴは知っていた。

※1 1958年に発足したイタリアのプロチームでエルネストは63年からメカニックとして加入。エディ・メルクス、ミケーレ・ダンチェッリ、ジャンニ・モッタなどのスター選手を擁しツール・ド・フランス3回、ジロ・デ・イタリア4回、世界選手権3回という戦績を残したスーパーチーム。

チャンスをモノにするという事象に偶然などない ~サクセスストーリーの真実や如何に~

「1956 年のジロ・デ・イタリア。私はマーニ ※2 のメカニックとしてレースに参加していた。とあるステージでファウスト・コッピ ※3 が機材トラブルに見舞われていたところを助けたことがあり、お礼として1,000 リラを受け取った。その後20 年間、そのお金を大事にポケットに入れていた。大ファンだったんだ。」

運の強さ、コルナゴの歴史をそう捉える人も少なくない。自身のキャリアを上げるきっかけとなったマーニとは出会いこそ偶然だったが、彼が悩んでいた機材トラブルを救ったことがチーム専属メカニックとしてジロ制覇を経験するきっかけとなった。このコッピとの逸話についてもこの時が初対面ではなく、優れたホイールを組むと話題だったコルナゴのホイールをコッピ自身が以前から使用しており、かねてからエルネストの腕の良さを知っての一件だった。

そしてメルクスとの出会いについても、コルナゴが機材供給をおこなうチームに加入してきたことがきっかけで数々の逸話が生まれたと偶発的に語られることが多いが、その加入する数年前からメルクスもエルネストが組むホイールを使用し、その腕の良さは知っていた。特に機材に対する要求がシビアなメルクスが高性能なバイクと腕の良いメカニックが揃うチームへ移籍したことは、偶然が偶然を呼んだのか、もしくはエルネストが自身で手繰り寄せたチャンスだったのか。自転車にひた向きであること、誠実であること、自身のプロダクトに絶対的自身を持つこと、そして勝利に貪欲であること。チャンスをモノにするのも実力のうちとは常々勝負の世界で言われてきた言葉である。

5.0.2

※2 フィオレンツォ・マーニ(1920-2012)当時強豪チームのニヴェアに所属していたイタリア人ライダー。ジロ優勝3回、ツールドフランドル3年連続優勝の偉業を達成したサイクリストで、当時コッピ、バルタリと共にイタリアのビッグ3として賞賛された。

※3 ファウスト・コッピ (1919-1960)ジロ優勝5回、ツール・ド・フランス優勝2回、ジロ・ディ・ロンバルディア5勝、ミラノ〜サンレモ3勝、世界選手権1回優勝という輝かしい功績を残した戦前・戦後におけるイタリアのスーパースター。当時ジロ3勝、ツール・ド・フランス5勝を上げたイタリア人ジーノ・バルタリと人気を二分し、ロードレースでのイタリア最強時代を築いた。

共鳴するデザイア ~底なき勝利の探求~

「1984 年にエンツォ・フェラーリ ※4 を訪ねた。当時の彼は87 歳の老人だった。そう、今の私と同じ年齢だった。とにかく緊張したのを覚えている。エンツォは暗いオフィスでサングラスをかけて、私に何歳なのかと尋ねた。私は54 歳の年寄りだと答えると、エンツォは静かに、だけど気持ちのこもった声色でこう言った。『54 歳で年寄り?みっともない、私は54 歳で後世に残る車を作り始めたんだ』」

デルトンゴ・コルナゴに所属するサロンニの活躍もありビジネスでも大きな成功を納めつつあった80 年代前半、エルネストは現状に甘んじることなく次の時代を見据えていた。最先端技術が結集したモータースポーツの雄の門戸を叩いたのは自転車競技の次世代を担うプラットフォームにF1 の技術の転用に可能性を見出したためである。エンツォとエルネスト、二人に共通していたのはプロレーサーの夢が途絶えた後にモノづくりに自らの信念、そして希望を託したこと。そして商業的な成功を求める以上に最高峰のレースの現場で勝利を量産することを追い求めたこと。その後始まったフェラーリとの共同開発が結実して90 年代以降コルナゴのカーボンバイクがレース界を席巻した。勝利に対する執着は革新的なモノづくりを加速させ、業界にターニングポイントをもたらす強さを持っていた。

2021 年に88 歳を迎えたエルネスト。彼が幼少期に夢見た、何かを成し遂げる存在になれたことはもはや自明の理である。ブランドとしての歴史が長くその功績も大きいが故に過去のイメージから逃れることは困難だが、未来を切り開こうとする強い希求は今も変わらない。いつの時代も世に送り出されるコルナゴのバイクには、これまで培った孤高のエンジニアリングに加えてエルネストの弛まぬ哲学と信念が脈打っている。

※4 エンツォ・フェラーリ(1898-1988) フェラーリの創設者にして生涯F1チームの名門スクーデリア・フェラーリのオーナーを務めた稀代のカリスマ。当初モータースポーツを事業の柱とし、マシンの開発と参戦資金捻出のために車の販売をおこなったという生粋のレーシングブランド。F1創設から現在に至るまで継続して参戦する唯一のコンストラクターであり、チームである。